2014年4月12日土曜日

プレーパークへ行って来ました

光が丘のプレーパークへ行って来ました。
非常に学びがあったので是非紹介したいと思います。

NPO法人あそびっこネットワークさんが運営しているプレーパークで、都内有数の大きな公園である光が丘公園の中にあります。

プレーパークとは一体なんなのか?ということについては、あそびっこネットワークさんのページが詳しいのでそちらをご覧いただければと思います↓

「NPO法人あそびっこネットワーク」
http://asobikkonet.com/

14時ごろから15時過ぎまで、1時間程度の短い時間でしたが、本当に楽しい時間でした。

まず、特筆すべきは自然に囲まれた環境。
雨が降ると自然に水たまりができる場所があったり、駆け登りたくなるような丘や登れと言わんばかりの木々。
幸いにも穏やかな晴天だったため、ベンチで昼寝しているような大人の方もいました。

そんな恵まれた環境の中に、様々な遊ぶための道具があります。
遊具と言っても、もちろんPSPやDSのようなものではないです。
ロープやボール、じょうろ、バケツ、ヤカン、シャベルなど、1つの遊びのために使われるような道具ではなく、様々な用途があり、子どもたちが自分で工夫して遊べるようなものばかりでした。

パークにはプレーワーカーと呼ばれる大人の方がいるのですが、彼らは子どもたちにそうした道具を「こうやって使いなさい」「これ使って」などと言うのではなく、子どもが夢中になって遊んでいる時に、近くにそっと置いていきます。
子どもたちは自分で何を使ってどう遊ぶか考え、遊んでいました。


僕は6才の男の子2人と水たまりからシャベルを使って「川を作る」という遊びをしていたのですが(もちろん発案は子どもたち)、そこでの子どもたちの創造性、そして博識さに本当に驚きました。

「ここを掘ってトンネルにしよう!」「こうやって滝を作るんだ!」と次から次へと湧き出るアイデア。

そして、

「水はそんなに急には曲がれないからこうやって迂回させるんだよ」
「シャベルは足を使うと掘りやすいんだよ」

といった遊びのコツ。

誰かに教わったわけでもなく、自分の経験から学んだそうした知識をしっかりと自分のものにしている。
そしてそれをきちんと人に教えることができる。
本当に凄いことだと思いました。
こんな具合で教わったことはもっと山のようにありました。

そして、無事川を作り終えて流れる水を眺めていると、「水がキラキラしてて凄く綺麗!」と、みずみずしい感性も持っている。

美しいものを美しいと素直に思えることは、実は凄く大事な力なんじゃないかと思っています。
そうした美しいと感じるものをどれだけ見てきたかが、世界に対する信頼や安心につながるような気がするからです。


子どもたちと遊んでいると、時には子ども同士で意見が対立することもあります。
やかんで水を流すべきか、バケツごと水を流すべきかで対立したことがありました。
「どうなるのかな?喧嘩になったら叱った方がいいのだろうか」などと見守っていると、子どもたちは自分たちで「じゃあ両方試そう」という結論で合意を導き出しました。
6才の男の子が、自分たちの問題をしっかりと自分たちで解決していました。


また、もう一つ驚いたことは、子どもたちがしっかりとした思いやりを持っていること。
何か道具を渡したときなど、自然に「ありがとう」という言葉が出てくる。
僕は2年間近く、学習支援で小学生と触れ合ってきましたが、なかなか素直に「ありがとう」といえる子はいませんでした。

おやつの時間には、要求したわけでもないのに今日初めてあった僕にもお菓子をくれました。
一緒に遊んでいた6才の男の子達だけではなく、他に来ていた4才の女の子も。


こうした子ども達と触れ合ってみて、自分で驚いたことがあります。
身体は確かに疲れているのに、不思議と元気になっているのです。
一週間の疲れがたまった金曜日、朝も正直だるいところがありました。
それが、プレーパークからの帰り道、不思議なほど自分の精神状態が「健やか」であるように感じました。



僕は、より統合的な教育というものを志向しています。
統合的な教育とは、統合的な人間観に基づくものです。
知識や論理、思考によってのみ人間は成り立っているのではなく、身体や感覚、感情、意志、間主観や社会環境、そうしたもの全てを統合している存在が人間であると考えます。

そうした立場から見た時、このプレーパークは非常に統合的でより自然体な教育の場であるように思えました。

大自然の中で身体を動かしながら、自ら考え、そして他の子どもたちと協力して遊ぶこと。
その中で子どもたちの見せる閃きや問題解決能力、知識、思いやり、行為全てがとても自然体で健全であると感じました。

そう、健全なのです。
6才~12才といえば運動能力が発達し、内面的には友人レベルまで自己中心性が薄まっていくような段階です。
そうした段階をしっかりと経て、次の発達段階へ進むために必要な学びがつまっている場。
だからこそ、プレーパークに「健全さ」を感じたのだと思います。

と同時に、子どもたちに「恐怖や不安」といったものを感じなかったからというのも大きな要因であるように思います。
塾や学校で出会う子どもたちの大半は、何かしらの恐怖や不安を根底に持っている子が多いように思います。
その原因は学校という制度そのものであったり、家庭的な問題であったりするでしょうが、現代では遊び場という子どもの聖域にすら様々な規則によって子どもたちを抑圧するような動きがあります。

プレーパークでは、一般に公園ではしてはいけないとされているような行為(例えば木登りなど)も認められています。
プレーワーカーたちは、「危ないからやめろ!」ではなく、子どもたちの注意がそれた隙に安全に遊べるように子どもたちがぶら下がって遊んでいたロープの結び目をきつく締めていました。

なにより、子ども自身が木の枝でチャンバラをするとき、相手の身体に当てるときは少し力を弱める、という話が印象的でした。
そういうルールがあるから、誰かに言われたから、というのではなく、子どもたち自身が遊びを通じて「やってはいけないライン」を知っているのです。

モンテッソーリ教育やシュタイナー教育の根底にある「子どもは有能である」という価値観も、こうした場を一度経験したならば深く首肯できるものだと思います。


もちろん、今日僕が出会った子どもたちは小学校に上がる前の子どもたちであったことや、プレーパークだけではなくご家庭での教育が非常に考えられている可能性なども考慮しなくてはいけないと思いますが、それでもプレーパークにいる子どもたちと触れ合って僕が「癒やされた」ということは紛れもない事実です。

勉強のつもりで行ったのに、「癒やし」を貰ったということが何よりも大きな収穫でした。
誘ってくれたもんじゃらさん、本当にありがとうございました。

興味がある方はぜひ、一度見学に行かれると良いかと思います!

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